2016年9月
保水状態
昨晩から雨の続く奥志賀です。
今月に入り、やや雨が多いかなという印象があるので、冬以来の渇水が続いている山にも多少は水が増えてきているのではと思い、久しぶりに長池を確認して驚きました。
この程度の降水では、全く水の量は増えていないようです。
豊かな森に覆われている志賀高原は、一見すると青々と森が茂り、いつも通り沢山のお花たちも咲いているので、特別な変動は感じませんが、事実こうしてみると、山全体としては依然例をみないような渇水状態が続いているようです。
世界遺産の森で
先日世界自然遺産の白神山地を訪れました。
見事なブナ林と、その中に青く静まり返った多くの湖沼、日本キャニオンと呼ばれる大渓谷、どれも素晴らしく私自身白神の自然にすっかり魅了されました。
世界遺産に登録された自然地域は多くの場合、登録と同時にいきなり“観光地化”され、それまで経験のないほどの多くの観光客が一気に押し寄せます。富士山は言うに及ばず、屋久島、知床、熊野古道・・・。
世界遺産登録がきっかけで、日本の素晴らしい自然や文化を再発見し、感動体験できること自体は素晴らしいことですし、登録されることでその貴重な自然は将来にむけて手厚い保全が可能となります。その意味で、自然遺産登録は大きな意味を持ちます。
一方で、特に自然遺産の場合は、自然度が高いほど、それまであまり多くの人が立ち入らなかった地域ということになります。当然の結果として、突如同じ個所を、数千数万の人が歩くようになると、それまでの“自然”状態では起きえなかったことが次々と起きてきます。
顕著な例は、土壌の過剰な集中踏みつけです。いわゆる登山道の“裸地化”もこれが原因です。
日本各地にある巨木たちの多くがこれに悩まされています。
私たちは通常、地上部分(ギリギリ水中まで)の生態だけを感じて、自然を理解していますが、特に森林などでは、それ以上に、地下部分に潜む多様な生態までも含めてが本当に自然生態です。
そうした巨木や土壌への配慮なのだと思いますが、当地で代表的な遊歩道のすぐそばにある巨木には、写真のようなウッドデッキが設けられていました。こうした例は、他の地域の巨木たちでもみられる施策の一つです。
このウッドデッキによって、毛根の踏みつけから解消されたこの巨木は、今後安心して余生を送れることになるでしょう。
ただ、私の第一印象としては、体中がどっぷりとあの豊かな自然に浸って歩いている最中、いきなり視界に飛び込んでくる整然とした人工物に、一種の違和感を感じてしまいました。
写真からはわかりませんが、何とこのウッドデッキはおそらく青森ヒバの板で、根の周りを踏みつけずに樹肌を間近に触れることができて、素晴らしいものでした。
それでも、やはりあの無垢な自然の中に突如現れる人工物の何とも不協和音が、今でも私の脳裏から離れることがありません。
今やそれ自体が風景の一部となっている感のある、各地の湿原に張り巡らされた木道もこれと同様の目的で、人が入るために作られた、もともとの自然には全く関係のない人工物です。
それを考えると、将来貴重な森林の多くも、木道やウッドデッキ、場合によっては橋などが張り巡らされるようになるのでしょうか。実際既にそのような場所もありますね。
豊かな自然を保全しつつ、多くの方にその自然を体感していただくためには、一体どこでバランスをとれば良いのか。
縁あってこのような仕事をしている自分に何が出来、どう振る舞うべきなのか、当地を離れた今も、私の頭の中は混沌とした日々が続いています。
※これは私の情緒的な想いです。このウッドデッキに反対しているわけでは決してありません。